故郷(ふるさと)は・・・

ふるさとは、 

   静寂な山間に奥床しく、そして

      力強く先達のつくりあげた文化を

                    脈々と継承する人々が暮らす

寒川の変遷

 

非常に長い歴史があります。この地は2000年ほど前から人がすんでいました。
里伝えによると旧寒川村は、西暦781年(天応元年)河内の人儀右衛門なるもの此処に居住、開拓して村を開き、「梅原の里」と称したのをはじまりとする。

急にこの地が騒がしくなったのは、空海(のちの弘法大師)がこの地を訪れ、修行場としての候補に上がったことによります。 地元の伝えによりますと、村の入り口に五間四方の大きな道場を建てたとされています。 その後改築ごとに建物が小さくはなっていますが、現在でも信仰されています。

高野堂
では空海がいつこの地を訪れたのか、いろいろ説がありますが、おそらくは西暦819年頃だと考えられます。 高野山を下賜されたのが816年で、その後数年間かけて高野山周辺を開拓したこと、およびすぐ後に、この地の地名が 高野(たかの)と呼ばれるようになっていることなどから、判断できます。

さて、それから数十年後、寒川村の歴史で二回目の激変が起きます。遥かかなたからの百数十人の移入がありました。
古い村の入り口
上記の写真は、当時からある古い村の入り口道です。現在の道路は、写真左側にある川の反対側に作られています。
道が形を成しているのは、今でも誰かが通るためでしょう。

経過は不明ですが、栃木県小山市の寒川(さむかわ)地方の方々が、 時の権力に追われて、長旅の後、当地へたどり着きました。
当時はわずかの人々がこの地に住んでおり、地名は小川が多いので十川(そがわ)と呼ばれていました。
やって来た人々は、なるべく地元の意見を聞くとして、この地をふるさとの地名と重ね、寒川(そうがわ)と 呼ぶようになりました。

その後、寒川村の歴史で三回目の激変が起きます。当地が戦場になって、高野堂の前で死者が多数出たことです。
これは、豊臣側とそれに従わない側との争いでした。

 

(注)上記内容については、和歌山県神社庁HPおよび

   下記のURLより一部引用しています。

  http://www.aikis.or.jp/~kitano/10.html

 

西暦1956年(昭和31年)3月 寒川村、川上村が合併して美山村が誕生。

西暦2005年(平成17年)5月 美山村、中津村、川辺町が合併して日高川町が誕生する。

主な産業

第一次産業

農林業、椎茸栽培、梅栽培

人口推移

ふるさとカレンダー

①蛍祭り:

②盆踊り:8月13日~8月15日

③寒川祭:11月3日

 

 (1)寒川祭


 (2)蛍祭り

 (3)鮎、山女魚釣り

 (4)名水紹介

不老長寿の水
不老長寿の水

不老長寿の水

  

寒川の在所から小藪川筋を登ること

10km、時間にして20分

左手の山合いに「不老長寿の水源」がある。

この道をさらに登り峠越えをすると

竜神温泉の湯本入口の橋の詰めに出る。

(約20分)

名水


 

 (7)鉱山跡

◆舟原(ふなばら)

標高:約520m(登り口の分岐は約270m)

 

 大字串本の北東部、舟原谷の上流部にある。
 車道の終点には古い家屋や小さな畑が残り、また多くの薪が積まれている。
この人家の付近は荒れた雰囲気がなく、人の行き来が度々あるよう。
車道終点付近の尾根には墓地跡が続き、放置された墓石がいくらか残っている。
1世帯のみ墓を管理しているようで、新しい墓石もある。車道から谷に向かって降りると植林地。
すぐに1軒の廃屋があり、その下に段々の農地跡が続いている。終点よりも少し手前の道沿いでも、屋敷跡を確認。

 (5)鯖寿司

 (6)盆踊り

 (8)寒川の地区風景

高野、西の川地区風景
高野、西の川地区風景

土居、長志地区風景
土居、長志地区風景

中村、朔日、滝の上風景
中村、朔日、滝の上風景

板村、小藪川風景
板村、小藪川風景

南紀白浜に

トライアスロン大会を

誘致するために

活動している団体です。